自己紹介

滋賀県野洲市の腰痛専門整体院 きしの整体院 

このページでは私岸野洋人の自己紹介を書いていきたいと思います。どんな人間が治療をしているのか、知って頂けたら嬉しく思います。また治療と全く関係ないことを書いていきますので、読み飛ばして頂いて一向に構いません。

埼玉県川越市出身、昭和54年6月14日生まれ、A型。特技は仕事、ピアノ、シンセサイザー

 

滋賀県野洲市の腰痛専門整体院 きしの整体院出身地は埼玉県です。なんで埼玉の人間が滋賀にいるのとお思いかと思いますが、大学が京都だったのでそれから関西に住み着いています。関西に住んでから言葉が混じり、今現在標準語と関西弁が混じったおかしなしゃべり方をします。
関西の方達には、埼玉県と言われてもピンと来ないでしょう。特に目立ったとりえもなく、都内に通う人達のベットタウンでしかないからです。私が生まれた埼玉県川越市は、西の倉敷東の川越と言われるくらい蔵造りの街並みで有名なレトロな所です。

 

滋賀県野洲市の腰痛専門整体院 きしの整体院私の母親がピアノの教師をしており、幼少の頃からピアノは強制的に習わされました。練習が嫌で段々ついていけなくなりやめてしまったのですが、これがのちのち後悔することとなります。あの時もっと練習していたらまた今と違う人生があったかもしれません。

 

滋賀県野洲市の腰痛専門整体院 きしの整体院中学から高校生の時はやめていたピアノに再び火が付き始め、友達とバンドを組むようになります。特に高校生の時は、学校から帰ってきては練習ばかりして勉強はなんとかぎりぎりついていけるような状態でした。学園祭に出たり、友達の家で練習したりしているうちにもっと勉強してみたいと思うようになり、進学校なのに大学の進学は考えませんでした。

 

滋賀県野洲市の腰痛専門整体院 きしの整体院そんな時みつけたのがこの先生。国府弘子さんと言い、日本のジャズやポップスの世界では有名人です。当時都内で先生をしており、高校を卒業した私は週一回ピアノを習いに行っていました。とにかく男前?な先生で、この時の経験はピアノから離れた今でも忘れません。様々な外国での演奏経験のお話しやテレビ出演の時SMAPと共演した時のお話しなど貴重な授業だったと昨日のことの様に思い出します。

 

滋賀県野洲市の腰痛専門整体院 きしの整体院さて、ここからが本題です。高校を卒業後バンド活動をしていた私は、ある日突然指が痛くて動かなくなりました。なんだこれと思いながら不安になり、病院に行ってみたら腱鞘炎と診断されました。湿布と薬をもらったのですが一向によくならず、と同時にストレスのためか持病のアトピーもひどくなり痛みとかゆみで散々な状態になってしまいました。

そんな時本屋で見つけたのが、鍼灸治療という今まで全く縁のなかった治療方法だったのです。早速本の著者の所に連絡し、都内に治療を受けに行きました。正直効果を信じていませんでした治療を受けるまでは。

治療したその日から痛みが楽になり、かゆみも少しましになり、びっくりしたことを今でも鮮明に覚えています。こうして鍼灸のことを知り、そしてフラフラあてのない人生を送るなと母親の注意も受け京都の鍼灸の大学に進むことに決めたのです。

 

 
滋賀県野洲市の腰痛専門整体院 きしの整体院初めての関西、初めての一人暮らし。とにかく初めての事が多かった大学時代。結局大学に行っても軽音楽部に入り、音楽漬けの暮らしは今までとそれほど変わっていませんでした。けれど、国家試験で鍼灸の免許をとるという目標もできたので、勉強は楽しくできたと思います。特に解剖学や臨床論など今まで全く聞いたことのない分野の話は、とても興味深く勉強できたと自分では思っています。

この頃、リラクゼーションマッサージのバイトも始めました。技術もなく、会話も下手くそで、リピート率が店で一番悪かったという苦い経験があります。この時自分でいろいろ勉強して、少しでもリピート率をあげようと努力しました。結果は少ししか変わりませんでしたが、あの時勉強していたことが今にも結びついている様な気がします。

 

滋賀県野洲市の腰痛専門整体院 きしの整体院大学を卒業して私は一旦埼玉の実家に帰ります。そして、隣の市にある所沢整形外科という大きな病院に就職しました。とにかくここは患者さんがたくさん来院されていて、活気のある病院でした。ここで1から臨床のことを教わります。
臨床と同時に、院内では来院される患者さんを対象に体操教室も開いていました。私はそこで体操の先生も同時にすることになります。生徒さんみなさんご親切で、生徒さんと一緒にお昼を食べていると必ず何かおかずをくれます。弁当持っていかなくてもいんちゃうかーといつも感じていましたが。

病院での理学療法、体操での運動療法など実際の現場が初めての私にとって毎日が勉強です。失敗ばかりしていた私を温かく見守ってくれていた院長先生、先輩の先生方や患者さんには感謝の気持ちでいっぱいです。退職して開業した今もそう感じています。そんな思いで深い所沢整形外科でしたが、2年ほど勤めてまた京都に戻ることになります。

 

滋賀県野洲市の腰痛専門整体院 きしの整体院京都に戻った私は、大学時代の友達を頼り、洛陽健康倶楽部という治療院においてもらえることになりました。ここの治療院は完全実費なのですが、これまた患者さんが多く京都でも有名な治療院です。ここでAKAという関節調整の手技を学び、そして大学時代散々だったマッサージをちゃんと勉強し直しました。

そして、一人前の治療家になるべく夜間の専門学校にも入学しました。柔道整復師という国家資格をとるため、昼間は洛陽健康倶楽部の田口先生にお世話になり、夜は学校で勉強するという生活を3年続けます。ここでの3年間で治療というものの難しさや楽しさ、やりがい生きがい全て教わったような気がします。

自分の人生をかけて、治すことにこだわっている田口先生を見ていると、私もそれに続かなくてはと強く心に残りました。開業して5年ほど経ちますが、今もそれは全く変わっていません。あなたの人生を変えるには、私も人生をかけて治療に望まくてはなりません。

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